夏瀬佐知子の小説のつもり日記 短歌を詠んでいます。小説も少し書きます。夏瀬佐知子の日記です。
そろそろ遠慮会釈なくなる?12日目

午前0時、ベッドに横になっている頭の向こうの壁の奥が、うるさい。
どうもシャワールームらしい。ドアをバタンバタンと何度も開け閉めしている。

午前2時、船が出港した、はず。夢の中。
さようなら、シンガポール。

8時、ドアのノック音で起きる。
ドアの前には初めて見る女の人が立っていた。
緊張のなか勇気をふりしぼったと思われる笑顔を私に向け、「クリーニング」と言った。
「あとにしてください」と私はドアを閉めた。
ルスディさん、シンガポールで船を降りたのだ。あの眩しそうに微笑む姿はもう二度と見られないのですね。

朝食。
Sさんを見つけたので、Sさんの隣りに座る。他におばさまが4人いた。
Sさんがよく喋るおばさまの聞き役に徹している。話の脈絡がめちゃくちゃだけれど、攻撃的ではないのが救い。

部屋に戻る。掃除はまだだ。

6Fのレセプションに、短歌の宿題をプリント・アウトしてもらいに行く。
3枚綴りを20部。

インターネット、30分、¥1,000。15分じゃ何も出来ないもの〜。

自分の部屋へ戻ろうと、4Fから3Fへの階段を降りて踊り場を直進して右に曲がろうとすると、左側のドアが開け放してあった。三味線を爪弾く新潟から来たEさんの部屋だ。
昨日ツアーで一緒だったおばさまとEさんはお喋りしていた。誘われて、少し一緒にお喋りした。奇しくも、三人ともバツイチ同士だった。でもお二人にはすでに成人した娘さんがいる。

昼食。
写真好きなおじさまとお茶の先生のおばさまと同席。
オプショナル・ツアーでカンボジアへ行って来たという話を聞く。5つ星ホテルが素晴らしかったとか、現地の人々の暮しは貧しそうだったとか、象に乗ったとか。

7Fの喫煙所で一服。
部屋に戻るべく船の後方へと向かうと、ソファにSさんがいて、昔の歌の譜面を広げたおばさま二人と話していた。ご一緒させてもらう。
二人のおばさまのうちの一人は、プロ歌手のコンサートに携わっていたかたらしく、一泊5万円の部屋を用意したのにこれじゃダメともっと高い部屋に移ったY・Sさんの話とか、I・Hさんは必ず2万円以上の食事じゃなきゃダメだったとか、Y・Aさんはセクハラをするご自身の事務所の男性スタッフをいさめたとか、K・SさんはずっとM・Hさんに頭を押さえられていたとか、そんな話を聞いた。

部屋に戻って少し眠る。掃除はまだだ。

夕食。
山形から来たTくんと神戸から来たおばさまと同席。
Tくんは、ベトナムで、一泊の自由行動をしてきたのだそうだ。
そうか、そんなこともしていいのか。

8Fのデッキを歩く。
太極拳でいつも顔を合わせる美人姉妹のお姉さんのほうと出会い、話す。
シンガポールを自由行動してきたのだそうだ。昔、日本人が現地の人を虐待した地下牢とか、日本兵の蝋人形を見てきたらしい。

7Fの喫煙所でしょっちゅう顔を合わせるおばさまと話す。いつになく饒舌だ。ペット・ボトルの飲み方で分かった。お酒を飲んでいるのだ。昼間は水かお茶だが、夜はお酒をつめているのだ。このかたもご主人を家に残しての一人参加だ。


・文句やさん酔っ払いさん陰口さん遠巻きにほら逃げ出さなくちゃ

2006年04月16日(日) No.56 (旅)


シンガポールの11日目

7時40分、ドアを叩く音で起きる。
パジャマ姿のまま、ドアの影に隠れて顔だけ出してみれば、短歌の宿題を提出に来た女性だった。
うー、ドアの隙間から差し入れてくださいって言ったでしょう〜、締め切りは昨日ですけど〜、もう打ち込み済みなんですけど〜。
と心の声は一切音声化せず、寝ぼけ顔で受け取ったのでした。

朝食。首からIDカードのような名札を下げているKさんという男性と、おばさま2人と同席。
Kさんは、友だち作りのためにその名札を自分で作ることを提唱している人。
本来の名前そのままでもニックネームでも良いのだそうです。
この頃は、名札を首から下げている人のほうが下げていない人より多いみたいです。
私は、作れずにいます。
友だちはいりません、と宣言しているわけではなく、まだ、という感じで。
なにがまだなのかというと、毎回一緒にご飯を食べる人、毎日散歩を一緒にする人、講義を誘い合って一緒に受ける人、をまだ特定したくないというか、来し方行く末をじっくり自問自答するために船に乗った、というか、人や環境に慣れるのに人よりちょっと時間がかかる、というかただ臆病なだけかそんな理由からです。
Kさんにそんな私のかたくなさがきっと伝わってしまったのでしょう、名札作りを誘われませんでした。していない理由も訊ねられませんでした。

9時半、太極拳。今日も良い天気。

7Fの喫煙所で一服。
シアター近くのソファにSさんが座っていたので、お喋り。ロンドンのツアーをどうするかなど。

12時少し前、船はシンガポールのハーバー・フロント・センター(以前はワールド・トレード・センターと呼ばれていた)に着岸した。

昼食。91歳のI・Eさん(男性)と同席。神戸からの一人参加! 80歳から英検に挑戦し、2級を取得したのだそうな。阪神大震災で奥様を亡くしたけれど、子供さんにこのクルーズをすすめられ、今回が3度目とか。社交ダンスのレッスンを3ヶ月受けて今回に臨んだとか。お元気なお話をたくさんしていただいた。

13時、ブロードウェイ・ラウンジに集合し、13時20分に下船し、待っていたバスに乗り込む。
まず、アラブストリートへ。文字通り、アラブ系の人たちの街。モスクがそびえる。モスクに靴を脱いで入ったり、街を歩いたり。
次にクラーク・キーからリバー・タクシーでマーライオンパークへ。マーライオンを一周して、ショップをのぞく。
それからチャイナ・タウンへ。大ショッピングセンターをぐるりと歩く。カバンを見ていたら、店員のおばさんに手をとられ、違う商品の前まで案内された。
ツアーだ。自由時間はお土産屋さんの前ばかり。
夕食をツアー・メンバーとホテルのレストランで。
フカヒレ・スープ、すずきをから揚げにして炒めたもの、もやし炒め、豚肉と野菜の炒め物、海老とブロッコリー炒め、しいたけとチンゲン菜炒め、チャーハン、スイカとココナッツ・ミルクをいただく。
85歳の男性が一緒のテーブルだった。山形で一人暮らしをしているのだそうだ。24歳の福岡から来たベルちゃんが、大皿から料理をとってあげたりしている。アメリカで暮らしていたという60代か70代の女性が、真っ赤にマニキュアされた指先で、話の間中コツコツコツとテーブルやグラスを叩く。

港の免税店で口紅の棚を見ていたら、インド系の店員さんに再び手をとられ、違う棚まで連れていかれる。
シンガポールの店員さんは、お客の手をとるのが普通なのだろうか。

・手をとられ商品棚を小走りにともに歩くは恥ずかしきかな

2006年04月15日(土) No.55 (旅)


「パニック・アート・ライブ」の10日目

8時、起床。洗顔。朝食。

9時半、太極拳。

インターネット、30分、¥1,000。

昼食。毎日知らない人と食事することにも慣れてきた。とろろ、刺身、わかめ酢が出た。

自分の部屋で短歌の宿題を打ち込む。提出者15名! 参加者の多さにも驚いたけれど、この数にも驚く。

15時10分から、次の寄港地であるシンガポール説明会に参加。

16時、ツアー・コースの集まり。

夕食。

19時〜20時半、キム・チャンヘンさんの「パニック・アート・ライブ」。
キムさんは、京都に生まれ育った在日の21歳? 22歳? で、ジャグリングやヨーヨーや糸車やパントマイムやロボット・ダンスや手品などのパフォーマンスで、2000年と2004年の2度も、世界チャンピオンになった人らしい。アジア人で初めての快挙だったらしい。イギリス女王、クリントン大統領の御前でも、パフォーマンスをしたことのある人らしい。
素晴らしい技の数々だった! あんなヨーヨー使い、見たことない。糸車も信じられなかった。

部屋で、浅野忠信の映画を見る。舞台はタイ? 途中からだったのでよくわからない。髪を真ん中分けにして、黒ずくめの服を着て、女の人に料理を作ってあげて、ソファに女の人と並んで座ってテレビを見ている。
黒いシャツからのぞく胸板と腹筋は、鍛えている人のものだなあ、と思った。


・日の入りをデッキで眺めまーぶるーふうちゃーんと呼びかけている



2006年04月14日(金) No.54 (旅)


また動く船の上の9日目

8時、起床。
トパーズ・ダイニングで朝食。短歌の会に参加されたT・Jさんとご一緒。

9時半、8Fデッキで太極拳。良い天気。暑い。

11時、南京玉すだれ。

昼食。社交ダンスの先生と隣り合わせた。

インターネット。1番のノート・パソコンが、つながらない〜。フロントに苦情を言って、4番のデスク・トップ・パソコンに替えてもらう。
ついつい¥2,000も使ってしまった〜。

自分のノート・パソコンで、短歌の会の宿題として提出されたものを打ち込む。
CDロムに保存するが、ちゃんと保存されているのかどうか分からない。

気分転換に7Fへ一服しに行くと、ソファにSさんがいた。十代のような若い男の子と話していた。加わってしばし一緒に語らう。

夕食。奥様を残して神戸から来たという男の人と、旦那様を残して横浜から来たという女の人と追浜から来たという人と同席。

再び自分のパソコンで短歌の会の宿題を打ち込む。
やっぱり保存できているのかどうか分からない。
7Fの売店で、CDロムについて聞く。保存されているはずだと言う。
ソファでパソコンを使っている若い女の子に聞いてみた。と、あとで部屋に来て見てくれるとのこと。まず、(私の知らない)おじいさんのパソコンを見る約束をしちゃったので、と。

女の子が私の部屋に来てくれた。
マイ・コンピュータにちゃんとCDの絵が出た! 保存したものを呼び出して開くことが出来た! ありがとうありがとう!

8Fのデッキへ。満月だ。
母の誕生日だ。ベリー・ダンスを踊っている人がいた。
母へのカードを書いて、時計を1時間進めて、消灯。


・ランチにもディナーにもつくデザートをきっと欲しがる下船後もきっと

2006年04月13日(木) No.53 (旅)


シクロに乗った8日目

7時の船内放送で目覚めるが、7時半に起床。
着替えて、化粧もせず、トパーズ・ダイニングへ。
ホーム・シックだ。犬たちに触りたい。

朝食後、部屋に戻って、洗顔・化粧。
ドアにノックの音。
開けると、インド出身のルスディさんの、眩しそうな優しい目に出会う。
ちょうど出るところだと言って、掃除に入ってもらった。

7Fの喫煙所で一服したあと歩いていると、一昨日昼食をご一緒した好奇心いっぱいのおばさまがソファに座っていて、ご挨拶すると、まあ座りません? となっておしゃべり。
そのまま昼食もご一緒し、急遽、昼食後にダナンの街を一緒にぶらぶらしましょうということになった。
聞けば、Sさんは私の母と同い年だった。お若い!
浅草で生まれ育ったけれど、戦争で茨城に疎開して、それ以来、浅草には戻っていないのだという。ずっと看護士をしてらして(作業療法士?介護療法士?)未婚。30年以上前に、ロンドンの病院で1年間研修を兼ねて働いたことがある、というかただった。

13時、昨日から停泊している船を降りた。
船からゲートまで、殺風景な港を600メートルくらい歩く。
ゲートの外にシクロ(自転車タクシー)はいなかった。
駐車していたのは、オート二輪車と白い四輪車のみ。
「バイクに乗れ」、「いやタクシーに乗れ」と勧誘の嵐。
「シクロに乗りたい」「シクロじゃ無理だ」「ハン・マーケットまでいくら?」「10ドル」「5ドル」「OK、5ドル」。
ということで、Sさんとタクシーに乗り込んだ。
「ハン・マーケットまで。スーベニア・ショップには行かない」と何度も言ったのに、タクシーは、お土産屋さんの前で止まった。「ハン・マーケットはどこ?」と聞くと、この店の裏がそうだと言う。ちょっと不安だったけれど、5ドルを手渡して、タクシーを降りた。鼻の下に髭をたくわえた若い運転手さんの親戚筋だろうか、目の前のお土産屋さんから3人の女性がさっと現れて、中の一人がガイド・ブックらしきものを手に、その本に載っている写真をしきりに指差す。
よく見ると、この店のようだ。そしてそれは、日本語で書かれていた。とても自慢のようだ。
結局、その店で、シルク刺繍スカーフを何枚か買ってしまった。

ハン・マーケットは、その店の裏にはなかった。
かなり裏の裏の裏まで行って、100メートルぐらい左に曲がったところだった。
足がちょっと不自由なSさんには、キツイ距離だった。それでも水筒の冷たい水と、売店で買ったアイスクリームの力を借りて、なんとか休み休み歩いてたどりついた。
食料品・日用雑貨・衣料品などを扱う店がいっぱい集まった一角。
Sさんは珈琲豆、バナナ・キャンディ、紅茶などを試飲試食しながら選んだ。
私は、素足に履けるサンダルが欲しくなって、2Fへ。
すぐに店員さんが現れて、次から次へと商品を差し出してくる。ゆっくりゆったり品を選ばせてくれない〜。
早々に気に入ったサンダルに出会ったのだけれど、高い買い物ではなかったかと思う。言い値から2ドルしか値切ることが出来なかったのだ。事前の上陸説明会で、半値が妥当な線です、と言われていたのに〜。

帰りは、念願のシクロに乗れた。
ただ本当にシクロでは無理な距離だったので(タクシーで街まで10分だった)、バイクも一緒だった。
バイクに乗った人が、交差点やお巡りさんがいそうな場所をのぞいて、シクロを引っ張るのである。シクロをこぐ人とバイクからシクロに手を伸ばして引っ張る人との二人分で、10ドルだった。

無事に船まで戻って、17時に、船はベトナムを離れた。
さようなら、ダナン。


・三人であれはこれはと攻められて疲れたころに買ってしまって

・いらないと断言すると安くなり欲しそうにするとまからないのだ

2006年04月12日(水) No.52 (旅)


乗船後6日目にしての陸を踏む7日目

7時、起床。
ヨット・クラブで朝食。
8階のデッキを歩く。陽射しが強い。暑い。
インターネット。kamiさまが作ってくれた自分のホームページに行くのにとても時間がかかる。あっという間に15分500円だ。ミクシならすぐに行けた。なぜ? 
もう15分500円で、ミクシの日記に書き込んだ。
予定の12時より1時間早く、ベトナムのティエンサ港に着く。
トパーズ・ダイニングで昼食。50代とおぼしき女性二人(どちらもご主人をお家に残しての一人参加)と旅行会社の女性(30代? 全行程を付き合うのではなく途中で下船するらしい)と同席。
13時15分、「ホイアン旧日本人街を散策」ツアーの参加者が、ブロードウェイ・ラウンジに集合。
船に乗り込んでから6日目にしての陸地である。
160名ちかくがいっせいに下船。ほぼ40名ずつ、4台のバスに乗り込んだ。
30分ほどバスに揺られて止まったところは、アオザイ・ショップ。
生地から選んで、3サイズを計ってもらって、1週間後くらいには自分にぴったりなアオザイの完成品が船に届くのだそうだ。缶ジュース・缶ビール、いずれか1本がサービスでふるまわれた。
私は身体のラインが出る服に抵抗があり、作らなかった。旅の始めから豪勢にお金を使ってはだめという気持ちも強かった。あとで、作っておけば良かったと悔やむことになるのに。
14時35分、再びバスに乗り込み、ホイアンへ。バスが暑い。冷房の音はするのに、ちっとも涼しくならない。
ツアー・ガイドさんが、ベトナム名物のノン笠を私たちにプレゼントしてくれると言う。あの、三角錐のかぶりものだ。外国映画でときどき日本人もかぶっている笠だ。
「日本人橋」を歩く。東に犬、西に猿の像が向かい合う形で置かれていた。
「福建会館」。女神が祭られていた。風見鶏ならぬ風見魚が面白かったので写真に撮った。ここは龍宮城なのかしら。
「タン・キーの家」。古い街並みに建つ最も古い家。
飼い犬や野良犬を目にするたび、まーぶるとふぅを思う。
「ホイアン市場」。自転車とオートバイと歩く人でごったがえす道。
果物を売る店と花を売る店がとても多い。男の人が花を買っている。
屋台とは言えないような店には、プラスチック製の小さな椅子(子供用にしか見えない)が並べられている。そこここに生ゴミ。
船には持ち帰れない(原則的にボーディング・チェックの際に没収される)果物を買う人もいたが、私はここでも、何も買えなかった。オートバイが鳴らす絶え間ないクラクションの音とひしめき合う人々の流れと暑さにあたってしまって。
17時40分、歩いてレストランへ。
360度、開け放たれた、よくよく見れば最初から窓のない、円形のレストランで夕食。
白いバラと呼ばれるシュウマイのようなものと、揚げ春巻きと、白いご飯と、辛い麻婆豆腐のようなものと、酢豚、岩のりのスープ、そしてメロンとスイカ。
サービス・ドリンク1本。お隣りになった女性と、ビールとミネラル・ウォーターをシェアした。

・船体は錨をおろし停まりしも脳のどこかのまだ揺れていて


2006年04月11日(火) No.49 (旅)


インターネットにつながった6日目

午前7時、起床。
シャワー。ついでに洗濯。
ダイニング前にいつもある熱い湯のタンクがカラ。冷たい水のタンクの蛇口を押すと出たので、水筒に冷たい水を満たす。
ヨット・クラブで朝食。
9時半から太極拳。今日の型は、攻撃の型だとか。ワクワクした。
11時半から南京玉すだれ。
12時、ダイニングへ行くと、満席!
仕方がないのでヨット・クラブへ。
ヨット・クラブも混んでいた。屋外のテーブルにやっと座れた。
年配の女性と若い女の子と同席。年代がまちまちなのに、妙にお話が弾む。
年配の女性の好奇心と若い女の子の飾らない構えない優しさのおかげ。
部屋に戻って「パパイヤの香り」を見る。2度目? 主人公ムイの幸せ物語。
インターネットを30分。モリカさんの日記に書き込めた!
夕食。3人掛け。69歳と65歳のおじさんと同席。
お二人とも、奥様をお家に残しての一人参加! さては粗大○○として出されたか、と失礼なことを考えてしまった。
ブロードウェイ・ラウンジでベトナム文化講座。
眠くなりながらも、氷は口にしないほうがいい・フォーは是非食べて・ベトナムコーヒーも是非試して、などはしっかり耳に。
社交ダンスの会へ。ものすごい数の参加者。
チャチャ、ルンバ、タンゴなどの基本ステップを教わるが、先生の足元が人で見えない〜。よって、何も覚えられず。
21時からシアターで『いま会いに行きます』を観る。
そうか、こういう映画だったか。

・粗大ゴミなど言えたのも波立たぬ家があってのことなのでした

2006年04月10日(月) No.48 (旅)


自主企画ものに通い出す5日目

昨夜、眠る前に時計を1時間戻してください、と和新聞に書いてあったので、そのようにして眠った。
7時、船内アナウンスで目覚める。ジェット・ストリームの城達也さんみたいにソフトだなーとまたも感心する。
今朝も7時20分からシアターで行われているはずのストレッチ体操に行かなかった。
寝起きはどうしてものろのろしてしまう。
シャワー。化粧。
ヨット・クラブで朝食。和新聞を読みながら。晴れ。
9時半から10時10分まで、ヨット・クラブの上にあるデッキで、中国伝統気功太極拳を習う。
暑い。陽射しが強い。蒸している。
11時から45分間、8階のスポーツジムの真向かいにあるT-CLUBという10畳ほどの部屋で、南京玉スダレを習う。古今亭菊千代さん流だそうだ。浦島太郎・御門・炭焼き小屋・瀬田の唐橋の形を覚える。絵に描いたりして。
昼食。6人掛けのテーブルに案内される。
神奈川の藤沢からいらしたOさん(男性)、長野の上田からいらした男性、沖縄から来た男の子、川越の女の子、昨日デッキで話した大阪の女の子と同席になる。
部屋でオリバー・ストーン監督の「天と地」を見る。トミー・リー・ジョーンズとベトナム人女性役の女優さんが凄い。
途中でテレビを消すことが出来なくて、ブロードウェイ・ラウンジで行われる「ダナン上陸説明会」に遅刻してしまう。
短歌の会に参加してくださったKさんとNさんが、もう宿題を提出された。は、早い!
夕食。またしても6人掛けのテーブル。名古屋から来た女の子(18歳)、神戸の女の子(22歳)、東京の男の子、川越の女の子2人(24歳)と同席。話しかけようと努める良い子たち。
ギターを爪弾く音が今日もする。
私の部屋の真向かいに、ギター弾きさん(60代の男性)がいて、通路を挟んだ右隣りには新潟からいらした三味線弾きさん(60代の女性)がいる。
左側の通路を後方に回り込んだずっと奥に、ヘミングウェイ・バーで毎晩演奏するプロのギタリスト(ギリシャ人)もいる。
弦楽器な人たちの一画である。
毎日、3人がそれぞれの楽器を爪弾く音色を聴いている。
弦は、毎日お稽古をしないといけないものなのかな。偉いな。好きじゃなきゃ出来ないな。
21時、シアターへ。今夜は「季節の中で」。3篇のオムニバス映画。
シクロ(自転車タクシー)の運転手と娼婦の恋。ハンセン病のご主人に仕える花摘み娘の愛。貧しいストリート・チルドレンの日常と元米兵(ハーベイ・カイテル)が自分の娘を捜す日常の接点。
時計の針をまた1時間戻して眠る。これで日本との時差はマイナス2時間か。


・刻々と明るい波になってゆく日がな眺める太平洋は


2006年04月09日(日) No.21 (旅)


肩が凝る4日目

7時起床。
ラジオ体操もしくはストレッチに行こうかと思ったのだが、やはり化粧をしてから出かけたほうがいいだろうと思い直し、シャワーを浴びて化粧をすませると、ラジオ体操もしくはストレッチの時間は終わっていた。

晴れ。

ヨット・クラブで朝食。

デッキを散歩。
沼津からいらしたという60代の男性と、大阪から来たという若い女の子と話す。

7階の日の当たるテーブルで、海を眺めながら、日記を書く。

昼食をダイニングでとる。

12時50分頃から7階のフリースペース「あん」で「短歌を読んだり詠んだりしてみませんか?」の準備をする(椅子を円状に並べたり)。
5、6人しか集まらないだろうと踏んでいたのだが、17人も集まった。
全員の自己紹介のあと、加藤治郎さん・井辻朱美さん・夏瀬の短歌を声に出して読んだ。
次回の宿題としてお題を決める。「旅」になった。自由詠も受け付けることにした。
声が嗄れてしまう。フリースペースには壁がないので、ふだん出さないような大声で話したからだ。
隣り合う「あごら」や図書コーナーへ行き交う人たちの視線も感じて、汗をかいた。

部屋に戻り、マッサージを予約。肩が痛いほど凝ってしまったのだ。17時半からの予約がとれた。
それまでベッドに大の字になって、先刻の会を反芻する。

17時半、マッサージに行く。
6階のレセプションの後方にある階段を降りた右に美容室があり、そこの奥の部屋にマッサージ・ルームはあった。
私の部屋がある3階と、ダイニング・ルームのある4階は、船尾から船首まで、まっすぐに行けないことを知る。
ちょっと迷ってうろうろしたあと、とにかく船首にあるレセプションを目指そうと歩き、やっと5階にある美容室を見つけた。
若い女の子が、30分指圧してくれた。なかなか指の力が強かった。

ダイニングで夕食。

部屋で「地雷を踏んだら、サヨウナラ」を見る。

21時、7階のシアターで「チャーリーとチョコレート工場」を見る。


・あざやかな開放色の波でさえ渦を巻きおり船体ちかく

2006年04月08日(土) No.20 (旅)


ウェルカム・パーティー・ナイトの3日目

7時50分、起床。
7時頃、食事のアナウンスはあったのだろうか。
熟睡してしまった。
シャワー(出が弱い)、化粧後、8階のヨット・クラブへ。
晴れ。
この旅を申し込んだときからずっとわたしの担当で、いろいろとお世話してくださった旅行会社・ジャパングレイスのS水さん(モデルさんのようにスタイルのいい20代後半? の女性)とM本さん(20代前半? の童顔の男の子)と、わたしと同じく初参加のS口さん(50代後半?)と同席になりお話をしながら朝食をとる。
S口さんは、地球大学(ピースボートの活動を一緒にしたり勉強をしたり寄港地の人たちと触れ合う)に申し込んだのだと言う。定年退職をして乗り込んだとおっしゃった。ということは、65歳? お若いー! ずっとお一人で働いてきたらしい。
食後、デッキを一周しながら聞いたことだった。
良い天気。

部屋係りのルスディ(20代後半? の男性)は、インドネシア出身。
インドネシアなまりの英語で挨拶してくれる、笑顔で。

今日のキャビン・シネマは、「ローマの休日」だった。

トパーズ・ダイニングで昼食。フィッシュ&チップスだった。
練馬からいらした男性(奥様を家に残して参加)と千間台から来た女性と郡山の女性と千葉県の佐倉の男性と江戸川区の女性と同席。
みなさん60代? みなさん一人参加。

7階の船体中央部分にあるフリースペース「あん」で、自主企画参加の申請をする。
「短歌を読んだり詠んだりしてみませんか?」
唯一の情報手段である「和(なごみ)新聞」に明日、載るらしい。

14時半から避難訓練。
部屋に常備してあるライフ・ジャケットを着込み(二つあった。ベッドの上にベッドがたたんであるから、この部屋は二人部屋なのだ!)、避難場所であるブロードウェイラウンジへ。
部屋番号と名前の点呼。
船の揺れのせいか、人いきれの熱のせいか、眠くなる。

5時半、フォーマルドレス(といってもノースリーブのワンピースにてれんてれんの黒のジャケット)に着替えて、フォーマル・ディナーへ。食事。

7時半、後半食(私は前半食。ピンク・カードが前半で、グリーン・カードが後半食の証明カードで、ダイニングに入るときに提示しなければならない。なにせ1000人だ。半分の500人ずつ食べなくては。8Fのヨット・クラブはいつもバイキング式で、服装もかまわないらしい。そっちに行けば良かったかな)の人たちのディナー終了を待って、ブロードウェイ・ラウンジでウエルカム・パーティーが始まった。

船長さんと2ショットで写真を撮った。
クルーのチーフ紹介。
船長さん始めギリシャ人が多かった。経理にドイツ人女性。料理長は日本人。
隣り合わせたTさん(学校の先生を辞めて乗り込んだ)と25歳の女の子とシャンパンを飲みながら話す。

10時半、部屋に戻る。
まーぶるとふぅに会いたい。体をくっつけ合って眠りたい。


・犬たちをさわれぬ指を先頭にじわりじわりと離れていること


2006年04月07日(金) No.19 (旅)


船酔い治まる2日目

船内放送で目が覚めた。「みなさま、おはようございます。」
ジェット・ストリームの城達也さんかと思うような穏やかないい声!
朝食の用意がととのいましたというアナウンスだった。
日本語から英語になったところで、時計を見ると、午前7時。
昨夜は酷い船酔いで化粧も落とさずに眠ってしまったことを思い出す。
シャワーを浴びる。水の出が弱い。
アナウンスによると、4階のトパーズダイニングは和食、8階のヨットクラブは簡単な洋食らしかった、さてどっちで食べよう。
今日のお天気も知りたかったし、海も見てみたかったし、8階にした。
部屋を出て、すぐ右の通路を左に行くと、10段くらいの階段があって、それを上がると、すぐ右に、トパーズダイニングの入り口がある。
続々と入っていく人、人。知り合いはいない。
左正面にエレベーターがあったので、それに乗り込む。4人も乗れば一杯というような箱。狭い。
エレベーターは7階までしかなかった。
降りて左にシアターと書かれたプレートのかかった部屋があり、右へ行くと、明るい!
7階の壁はほとんどぐるりガラス張りで、ソファーやテーブルの置かれたフリースペースになっている。
一瞬、どちらが船首か船尾か方向音痴になる。ヨットクラブは船尾にあるのだ。
わたしの部屋もどちらかというと船尾にあるので、すぐに突き当たりが見えた右へ行ってみる。
突き当たりの部屋は、昨日オリエンテーションが行われたブロードウェイショーラウンジだ。
回り込むと、左に階段があった。人が上り下りしていた。
急な階段! 60度はあると思う。
12,3段くらい上がると木の両開きドアがあり、押し開けると、外気!
右にヨットクラブのドアがあり、左はデッキだ。
良い天気。でも寒い。
まずはエネルギーを補給しよう。
オレンジジュース、シリアル、デニッシュパン(レーズン)、ハムとチーズを一切れずつ、カットオレンジ、珈琲を、10人掛けくらいの楕円形テーブルまで運んで(バイキンク式)食べた。
床がエンジン音とともに揺れていた。
3階がこんな感じだろうと思い込んでいたのだけれど、そう言えばわたしの部屋、全くエンジン音なんて聞こえなかったな、と思う。
窓際の二人掛けテーブルには年配のご夫婦らしきカップル、4人掛けテーブルには4人部屋で初めて一夜を共にした若い女の子たち。静か。
食後、デッキを歩こうと思っていたのだけれど風が冷たかったので、7階を歩くことにする。
中央よりほんの少し船首寄りの右舷側に、喫煙所を発見! 煙吸い込み機が2台。
一服後、手前のヘミングウェイバーで珈琲を注文。部屋番号とサインだけでOK。
友だちに手紙を書いた。
6階のレセプションへ行き、手紙の投函を頼むが、神戸では下船しないので投函できないと言われる。乗り込む人がいるのに?!
諦めて、船内探検。
7階の船首左舷に、インターネットが5台あった。
15分、500円!
そうこうしているうちに、昼食の時間。
トパーズダイニングでいただく。
わたしと同じ一人参加の60代の女性二人と(お一人はクルーズ2度目!)、若い男の子(二枚目。24歳。エイベックス勤務?)と同席になった。
喫煙所にて一服後、自室へ。
ホテルの部屋のように、ベッドメイキング、タオル交換が済んでいた。
机で日記を書く。首と肩が痛い。
14時、8階のデッキへ。神戸港のビル群と山並みと左側に赤い高速道路を眺める。
友だちにメールを打つ。
神戸出港は18時なので、また部屋に戻る。船酔いが嘘のように治まっていることに自分でも驚く。昨日は神戸で下船するつもりだったのに。順応力、あるじゃん。
しかし首と肩が痛い。凝りをほぐすべく体操をする。
ベッドの足元の上に吊られたテレビで「Shall We Dance?」を見た。
リチャード・ギアの「僕がこの世に生まれてきたのは、きみの幸せそうな顔を見るため」といったような言葉に、泣いてしまう。
スーザン・サランドンの「私があの人の生きた証になるの」といったような台詞にも泣いてしまう。おお、センシティヴ!
出港セレモニーをちょっと見て、まあ、もう夕食の時間。
トパーズダイニングにて。年配のご夫婦と同席。なんだか食べてばかりいるような気がする。


・それぞれの日常を話すことから始まってどこまでいこう巡る世界と



2006年04月06日(木) No.15 (旅)


旅立ちは雨だった

午前7時起床。雨だ。
伊勢佐木町ワシントンホテルを、朝食後、チェック・アウトする。
タクシーで横浜港大さん橋国際客船ターミナルへ。
寒い。小雨に濡れる。
午前8時半。やめるつもりで自宅に置いてきた煙草を、ターミナル出入り口にあった自販機で買ってしまう。いよいよ初めての長い一人旅が始まるのだと思ったら、煙草を吸わずにはいられなくなったのだ。
一服後、ターミナルの中へ。
案内板にしたがって木の床をキャスター付きのスーツケースを転がしながら歩いて行くと、申し込み番号順にデスクがあって、そこで乗船手続きをしろと誰かがアナウンスしていた。
わたしは805番なので、左から2番目のデスクだ。2600番台まである。
えっ? 1500人乗りの船なのに?
パスポートとクレジットカードを係りの人に手渡すと、生年月日、パスポート・ナンバーなどの記載された写真付きIDカードと、名前、キャビン・ナンバーなどが打ち込まれた白いトパーズ・ピースボートカードと、ピンク色のトパーズダイニング御食事券などの入ったジッパー付き透明ケースをもらった。
ちぇっ、客室は3022だ、3階だ。4階が良かったのにな。
6階のレセプションわきの階段を降りて、案内板にしたがって自力で客室にたどりついた。いや、通りかかったクルーらしき白いつなぎ服を着た人に一度だけ道を教わった。
迷路のようだ。
部屋は狭かった。3畳くらいか。ドアを開けると、右の壁にセミダブルベッドがあり、正面に鏡・1段の引出しつき小机と椅子があり、その左隣りにロッカーがあり、左の壁にはドアがあった。
そのドアを開けると、正面に洗面台、右側に便器、左側にシャワースペースがあった。
前もって送っておいたダンボール箱が4つ、ベッドわきに置いてあったので、足の踏み場がなかった。
ロッカーを開けてみると、棚がない! 引出しもない! Tシャツとか靴下とか下着とかはどうするのだ? しかたがない、ダンボールを棚代わりにしよう。
あっという間に2時間が過ぎた。
が、まだ出港の12時までには1時間もあった。
8階のデッキに出てみた。
雨が本降りだ。寒い。冬みたい。
シャンパンが紙コップでふるまわれ、出港セレモニーが始まった。
雨と風の中、セッティングする人も見送りの人も大変だ。
思っていたより船は、岸を速く離れた。紙テープを持った同士が、別れを惜しむのも、いい加減気まずくなるくらい遅いと思い込んでいたのは何故だろう。
そうそうに4階のトパーズダイニングへ昼食をとりに行く。
九州から来たという若い姉妹と隣り合わせた。妹さんのほうが、すでに船酔いが始まったと、前菜の途中で席を立った。
昼食後、2時間も昼寝をしてしまう。
ブロードウェイショーラウンジに大勢が集まって、オリエンテーション。
船が揺れる〜。気持ち悪い〜。
18時から夕食だった。気持ちが悪いまま食べてしまう。サラダ、魚料理、パン、デザート、紅茶。
部屋に戻ると、吐く。
6階のレセプションへ酔い止め薬をもらいに行く。階段の手すりにゲロ袋がはさんであった。吐いた。
部屋に戻ってまた吐いた。薬を飲んでまたまた吐いた。
「駄目だ、船旅はやっぱり無理だったんだ、苦しい、気持ち悪い、明日着く神戸で降りよう」
20時、ベッドに横になった。


・初めての船旅に酔う初日かなもうひたすらに目をつむりおり

2006年04月05日(水) No.13 (旅)